失念していた

この日記の存在を、早くも忘れかけていた。

タブレットとキーボードは、無事当初の目的を果たしている。問題はない。

明日はいよいよ、運命の日の前哨戦だ。運命の日に何かあるのかどうかは、明日の夕方にはわかるはずだ。楽しみなような、恐ろしいような。

何かある場合、このように文章を書き散らしている時間は間違いなくなくなるだろう。悲しいけれど、仕方ない。

魂はいくつまで分かれるか

友伴もめづなるねんどろいどといふものを、我もめでなむとて、求めるなり。

この年の三月の二十八日の酉の刻に、門出す。そのよし、いささかにものに書きつく。

語彙力の限界のため普通に短く書く。

何だか居ても立ってもいられずに、土曜日に行った書店を再訪し、お目当てのフィギュアを買ってしまいました。開けてみました。大満足でした。

私の魂の一部が、すっと奪われたような気がしました。同じようなフィギュアがもう1つ2つあったとしたら、きっと私の魂はその分だけ奪われるのでしょう。奪われた分は、萌えという生命エネルギーが補完するので支障はないのですが、人格や思考への影響は避けられない気がします。

私が私の目で見る世界が、どんどん現実世界から遠くなっている気がする。

書き書き

今日はさくさくと筆が進んで、ある程度まとまった分量を書くことができた。文字数で言えば一万字にも満たないのだが、かなーり久しぶりに書いた割にはスムーズだったと自己評価する。書き上げたものは早くPixivに上げてしまいたいが、全て書いてからバランス調整や要素配置をしないといけないので、ぐっと我慢する。

そんなわけで、今日は晩酌にビールを開けた。大好物のベルギービール。ホップの風味がくそ苦いのにたまらない。コーヒーもそうだが、不思議な飲み物である。

本日のBGMはバックハウス演奏のベートーヴェンピアノ協奏曲第5番。先般の旅行先で聞いて以来、どうにも癖になって繰り返し聞いてしまう。同時に演奏された英雄の生涯もすっかり気に入った。両曲を演奏するコンサートツアーはTwo Heroesと題されていて、なかなかに洒落ていると思った。

などと書いているうちに、一瓶330MLがもうなくなりそうだ。もう一本追加しようか。

そういえば、明日は新しい上司との初顔合わせとなるはずである。事前情報では、少なくとも今の上司よりは気質が合いそうな人だと思った。私の任期があのタイミングで始まりこのタイミングで終わることが残念だ。巡り合わせが悪かったのだろう。

次の仕事が何かはわからないが、よい巡り合わせであることを切に願う。

気づき

正午からの用件をさっくりと済ませ、手持ち無沙汰になったので近場のStarbucksに移動し、いつものデバイスでいつもの如く文章を書くとする。そろそろ「いつも」と称して差し支えないだけの習慣化に至っているのではないか。

Starbucksが全世界的にどんなブランディングを行っているのかは知らないが、あちこち動き回る人間にとっては、安心感のあるサービスパッケージである。同じメニュー、同じような雰囲気、Wi-Fi。どこに行っても期待通りの体験ができるのは、大きな安心である。どこでもついマクドナルドに行ってしまうという職場のおじさんたちと同じ行動原理なわけで、彼らを笑っていた少し前の私は何と傲慢であったか。

さて、本日開催されたイベントにおいて、現行の萌えジャンルのアニメ化が発表されたようだ。いつか来るだろうとは思っていたが、いざ現実化してみるとなかなかに衝撃を持って受け止めている自分がいた。嬉しいのかというと、よくわからない。もともと「公式」による世界観設定がかなり薄く、それ故に二次創作において好き勝手に弄くられていたジャンルではあるのだが、アニメが放送されれば、それが世界観を相当強く規定するだろう。それは、ある方面では大きな興奮をもたらすだろうが、別方面では、これまで様々な人が築き上げ私の中にも築かれつつある世界を破壊するのではないか、そんな危惧をまず感じたのである。

と、うだうだしていたら、同じような別ジャンルでアニメ化が行われた際は、「あれはあれ、これはこれ」と両者は別世界として共存していたそうで、実際のところはあまり心配はないのかもしれない。むしろ、ジャンルの活性化による薄い本の供給増こそを心配するべきなのだろう(財布的に、あるいは収納スペース的に)。